働く人たちへ
偉い人が言う仕事の話なんてのは、ほとんど実践で役立つものは無かったりするんだけど、わりと面白い。
触発されてちょっぴり書いてみる。
「アウトプットを出す」
これの出来ないバカ野郎が多い。本当に。
お前の環境でだけ動くプログラムに何の意味があるのか。
お前の環境でしか見れないgraphicデータに何の意味があるのか。
お前の脳内にしか無い仕様書に何の意味があるのか。
このことを意識して働くだけで、共に働く人の負荷は減る。
つまり、「あの人とは働きやすい」という評価を得れる。
この評価は一生ついて回る。
今、この数分の手抜きの為に、評価を落としている事に気付け。
それが、まず、最初のステップアップになる。
というわけで、仕方が無いので、バカ供の手抜き仕事の尻をぬぐう事にする。
会社が与えるべき幻想
開発末期だと言うのにアレな状況なので、プロジェクトを強固に進める為に必要なものは何かを考えめぐらせて見る。
- 会社は、社員がに給与以上の働きをした方が幸せ。
- 社員は、可能な限り働かず金がもらえた方が幸せ。
これは、会社の資金、労働力というリソースを、会社と社員で奪い合ってる状態なので社員と会社は敵対関係になる。ゼロサムだ。
昔はこうでなかった。
社会が成長期だった頃は、頑張れば、会社は拡大し個人の給与も上昇した。出世もあった。
成功の形が幻想として存在した。
なので、社員は、
「今、無理をしても、最終的には、得が出来る」
という幻想を追って働く事が出来た。
一応、戦後の焼け野原からここまで来た人達は、実際の成功と成長を実感した事だと思う。
会社や、社会が与えた幻想は、一部真実だったし、幻想としての効果もあった。
が、今は違う。
にもかかわらず、会社サイドが、幻想を追う事を社員に期待してどうする。
幻想を作るのは、会社の仕事だ。
目の前にニンジンをぶら下げないでどうする。
そのニンジンが本当に食える必要は無いのにケチるな。
(食えるやつは1割でいい。)
つまり、
「今、無理をしても、最終的には、得が出来ると言う幻想を会社が作る」
が、重要なのだな。
会社が、幻想を用意できなければ、そこそこ食ってサボりたい奴しか会社に残らない。
社員内で競争が生まれる事は好まないが、全員でぬるま湯につかったまま死ぬのはゴメンだ。
若手からは俺も会社側に見えるんだろうけど、そうじゃないから。
いつだって、辞める覚悟はあるし、会社に発展が無いと思ったら、湯から出るよ。
茹でカエルはゴメンだ。
休日出勤に何を思うか
一次マスター直前のゲーム会社の休日。
出社しているのは、俺1+デザイナ*2。
すごいね。なにやってんだろ。
と、ここから組織論と世代論をぶってみる。(仕事にならんからだ)
ウチはよくあるワンマン社長の会社だ。
組織に属するとは、組織の為に働く替わりに組織からメリットを得る行為である。
ワンマン社長会社の限界は、その組織にいくら尽くした所で、対価が社長の気分次第という所だ。
組織の為に尽くした対価は実は賃金であってはいけない。なぜなら、賃金のみを対価に求めるなら、もっとも得なのは、集団の中でバレないようにサボる事だからだ。
つまり、賃金(月給、固定給)以上の「もっと得ができるぞ」という「幻想」を与えなければ組織なんてのは、無駄飯喰らいの集まりに過ぎなくなってしまう。
ワンマン社長会社では「社長に気に入られておけばいいや」で終わりなのだ。
だから、会社はよくわからんが社則だのなんだので、客観的に見える評価軸を作り、出世を餌にして人間を、賃金以上に働かせようとしなけりゃいけない。
ウチはこの作戦に失敗しているから、マスター直前に悠長に休日を謳歌している社員が殆んどなわけだ。
以上、ワンマン会社はその個人の能力以上の仕事を成せません。という当たり前の話。
次、世代論。
最近の若い者は、というセリフはだいたい否定的な時に使われるが、これは持って回りであり、俺も新人類とか呼ばれてたクチだ。
要するに、
「今の社長や役員の世代の考え方では、若い者は給与分以上は働かんよ。」
という事なのだ。
正直を言えば、この先シュリンク傾向にあるゲーム業界に置いて、新人として入ってきて、ゲームの一本も自分でディレクション出来る役割が回ってくる可能性は大変低い。
常にラインを拡張しているような会社なら兎も角、年何本作るかが固定化しているような所では、若者に出番は無く、老害ディレクターが死ぬか辞めるかしないと一生作業員のままだ。
しかし、若者もバカじゃないからそんな事は百も承知だし、だから「あまりに難しい出世」を追うぐらいなら「給与ソコソコ」の仕事で、休暇を謳歌する。
幻影を追わない。騙される事を好まない。踊らされる事を好まない。
これが、当世の若者事情じゃなかろうか。20代中盤までぐらいを指して言ってるんだけど。
しかし、そうやってクールに生きてるから、実際得れる、目の前の餌をワリとスルーしてるんだよね。勿体無い。食っとけばいいのに。
例えば今この瞬間(プロジェクト存続の危機のこの瞬間)働いて、成果を出せるヤツなら次は大きい仕事を任せるだろうし、それ相応の給与にもなるだろう。
実のところ、彼ら若者に給与以上の働きをさせたけりゃボーナスや有給など、目先の利益で釣るのが一番速かったりする。
出世とか、長期視野の餌じゃ釣られない。
俺の世代から見ると、大変勿体無い生き方(移民労働者みたいだ)に見えるのだがこれは何に価値を置くかの違いなので、俺みたいな会社にゲタを預ける生き方のほうが彼らから見ればバカに見えるかも知れない。
ゲタは預けても運動靴を履いているから、いつでも走って逃げれるんだが。
niftyはココログに何を思うか。
自分が知らないだけかも知れないが、無料blogがいくらでもあるご時世に有料サービスで、ココログ程トラブってる所は少ないんじゃないだろうか。
しかも、のほほんとnifty社長blogなんか書いてるから、ユーザーもムカついて当然。広報は少し考えた方が良いと思う。
どうせ社長blogのページビューなんか、社員が稼いでるだけだから。
何故これほど、niftyが駄目になったのか?
- 何故か異常に多いメンテ。
- そしてメンテの度に高頻度でトラブル発生。
- トラブル対処がまともに出来無い。
- トラブル状況を見に行くのも難儀なtopページ。
- そのTOPページをして、ネット企業としてどうなの?
- にもかかわらず、社長が能天気な日記を垂れ流す。
と、先行者利益に甘えているうちに、あっという間にyahooBB如きに席巻された理由の一端もわからないでもないけれど。
組織が巨大な為に、各部署で発生した状況が別の部署では知らないんだな。
部署々々がそれぞれ独自に動く。本来密接に繋がっている[開発]と[ユーザーサポート]すらまともに繋がっていない。
で、繋がって居ない事を、上層部が放置だ。というより上層部がそう設計したんだろうな。
自分のような、20年来の生粋のniftyユーザーですら、blogにはてなを選んでしまう始末だ。笑えないけど、笑うしかないね。
オウムとαブロガー
元オウムということで、αブロガー(何それ食えるの?)の松永氏(すみませんこの騒ぎで知りました)周辺が騒がしい。
大雑把に意見をいくつかに別けると、
- 元オウムを隠して政党に接触するのはどうかと思う。また、本人が言葉を弄している感じも受ける。
- なんか怖いし、嫌だね。
みたいな感じか。
自分の立場から見ると、オウムは宗教である以前にテロ集団だ。
テロルを実行した以上、テロ集団の方が宗教団体より上位概念になる。
次に、松永氏がオウム(アレフ)でどの位置に居たかは知らないが、集団に所属する人には何種類かある。
- そこしか居場所が無い人
- そこに居る事によってメリットが有る人
- 何故かそこに居た人
もし、松永氏が教団に所属する事で、メリットを得ていたのなら、
「サリン事件には関わってない」「もう脱会した」
だけでは済ませにくいと思う。そうじゃないなら適当に済ませていいんじゃないの。
世間一般の意見がどの辺かはこの場合あんまり意味が無いとは思うけど、自分がどう思うかというと上記な感じ。
ゲーム業界で食えるのか
とりあえず日記。
三日坊主も初日ぐらいは頑張ってみる。
ゲーム業界のジレンマ
これはこれでよくある言説なので、大変納得する。全くその通りだと思う。
が、事はそれほど単純ではないと考えている。
現場から見れば、逃げ道の無い袋小路に近い。
大作志向からカジュアルゲーム、シリアスゲーム、非ゲーム端末向けのゲームサービスへと舵を取ろうとした場合、日本で商売をしているというメリットが極端に薄くなる。
阿呆みたいな大作ゲームを作れるのは、日本か、米国ぐらいのものだ。
しかし、カジュアル、ライト方向は、安い労働力を確保できるアジア圏に、直接対抗する手段が少ない。
アジア産の安価なゲームは、その物量で日本産のゲームを駆逐していく。
ライト系に関しては、日本産である事のメリットが出にくいのだ。
ここで会社経営者なら、海外との提携を含め色々と上手くやってきゃいいわけだが、現場の人間はそうはいかない。
日本のゲーム系企業が持つ武器は
・過去の名作タイトル→アジア外注かエミュで十分
・超美麗グラフィック→アメリカに負けだす。
・日本人的な練りこみ→日本人にしか通用しない上、コスト高
みたいな惨状なので、ライト、カジュアルに目を向けろといわれても、どーせーちゅうねんじゃ、という事になる。
この辺思うところはいろいろあるけど、まぁそれは追々。